御祭神/浦幌町出身の御英霊
慰霊祭/8月15日
鎮座地/北海道十勝郡浦幌町字東山町18番地の1
由 緒
忠魂碑の建立は、大正14年7月31日といわれています。
在郷軍人会の幹部 今野巌・飯山政吉らが中心となり、浦幌町帯富の林(現パークゴルフ場)の中から数トンの石を運び出し、旧浦幌小学校の校庭(浦幌町宝町・現健康公園の西側)に建立されました。
忠魂碑の揮毫は、第七師団長(旭川)陸軍中将国司伍七であります。
以来、浦幌村主催の殉公慰霊祭が、この忠魂碑で行われておりました。
昭和20年、敗戦によるGHQの指令で倒伏されましたが、翌年の12月、雪が降るのをまって、枕木で作ったソリに積み、越坂善松が土木事業用として、軍から払い下げを受けた旧戦車で、浦幌神社境内まで曳きまっした。
戦車を操縦したのは元戦車兵の髙室邦雄であります。
当時、占領下であったため忠魂碑をすぐ再建することは叶いませんでしたが、昭和26年、殉公遺族後援会(会長石丸雅朗)が、工事費10万円で、この地に再建し致しました。同年6月25日に多くの遺族や関係者が参列して、除幕式と慰霊祭が行われました。
忠魂碑での慰霊祭については、終戦直後は占領下であったため、忠魂碑を再建できず、慰霊祭は行われませんでしたが、昭和24年に浦幌神社境内のナラの巨木に守屋悟が「忠魂」の文字を書き、これを碑に代えて慰霊祭を復活させました。
昭和26年、忠魂碑が再建されました後は、昭和33年までこの地で慰霊祭が行われておりました。
昭和33年11月3日に東山の頂上に平和塔が建立されことにより、昭和34年以降の戦没者への追悼儀礼式は、平和塔で行われるようになりました。
忠魂碑前での神道による慰霊祭はしばらくの間、斎行されずにおりませしたが、平成28年より浦幌神社主催の神道による「戦没者慰霊祭」が復活し、以後、毎年8月15日に行われるようになり、現在に至っております。