「乳神様の信仰がどのように広まったのか」
浦幌町の瀬多来の山奥にあった、
おっぱいのコブをもつご神木は、
乳授大神(ちちさずけおおかみ)
乳授大明神(ちちさずけだいみょうじん)
などと呼ばれ、
母乳授けの神様として、
次第に信仰を集めていきました。
その信仰は、地元にとどまらず、
遠くは九州からもお参りがあったと
伝えられています。
では、なぜ乳神様の信仰が遠い地まで
広まっていったのでしょうか。
それは、
浦幌町瀬多来で盛んに行われいた
ある産業の職人のおかげです。
それは、炭焼き職人です。
閑散期に全国へ出稼ぎに出て、
乳神様のお話を広めたことから、
そのうわさを聞きつけた方々が
神徳にあやかろうとお参りに来る
ようになったそうです。
そして、
願いが叶うと、お礼に幟(のぼり)を
奉納するという信仰が広まりました。
当時、乳神様のご神木のまわりには、
たくさんの幟が立てられ、
とても賑やかだったそうです。
乳神神社のお祭りに8本の幟を掲げのは、
多くの数を表す末広がりの八にちなんでのことです。
乳神様の信仰が広まった要因には、
炭焼き職人のはたらきがあったことが
伝えられています。
※写真は、奉納された当時の幟です。
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