乳神神社

御祭神/乳授姫大神(ちちさずけひめのおおかみ)
例祭日/5月21日・9月21日 
鎮座地/北海道十勝郡浦幌町字東山町18番地の1

由 緒

大正の中頃、浦幌町字瀬多来の山奥・新之助沢に、乳房のような二つのこぶを持つナラの老木がありました。
ある日、この木を見つけた吉田という老婆が、この木は女神の御神木に違いないと思い、「孫のため、どうか母親に乳を授けてください」と一心に祈願したところ、願いが見事に成就したことが、乳神信仰のはじまりと伝えられています。

その後、乳神様は母乳授けの他、婦人病や眼病平癒の神様として、広く信仰されるようになり、地元はもとより、近隣の町村、更には遠くは九州地方の女性からも信仰が寄せられました。人々は「乳授大神(ちちさずけおおかみ)」「乳授大明神(ちちさずけだいみょうじん)」と尊称し、その御神徳は広ろく知られるようになりました。
昭和37年、台風の被害によりナラの御神木は倒れてしまいましたが、幸いにもこぶの部分が残ったため、地元住民の手により瀬多来神社の横に小さな祠を建立し、こぶをご神体としておまつりすることとなりました。
昭和57年、瀬多来地区の過疎化が進む中、乳神様の御神徳を広く世に広めようと、瀬多来地区と浦幌町市街地の女性等14名が発起人となり奉賛会を結成。炭山神社の旧本殿を浦幌神社境内へ移築し、遷座祭を厳粛に斎行致しました。当時、御神体のこぶは、大きく劣化しており、比較的状態の良かった右側のこぶを御神体としてお遷し申し上げました。

以来、乳神様は浦幌神社の境内社「乳神神社」としてご鎮座され、「乳神さん」の名で親しまれながら、子宝・安産・縁結び・病気平癒の守護神として、全国へと信仰が広まっていきました。

毎年、5月21日には春季祭を、9月21日には秋季祭を斎行し、御神体がお鎮まりになる御本殿の御扉をお開きし、乳神神社奉賛会員をはじめ氏子崇敬者と共に、乳神様への感謝と祈りを捧げております。



乳神様御神木の御姿

後世へ伝える油絵

この絵は、乳神様の御神木の御姿を伝える貴重な油絵です。

かつて乳神様の御神木のすぐ傍らにお住まいだった菅原敏枝様が、御神木の御姿を後世に残したいと願い、当時の記憶をもとに油絵で描かれ、昭和57年に当社へご奉納くださいました。

御神木の絵の右下には、倒木後に生えた二代目の御神木も一緒に描かれており、親子が並ぶ御神木が描かれた貴重な絵として、浦幌神社社務所に飾っております。 

※拝観を希望される方は、社務所へお声掛けください。



乳石殿

乳神神社御本殿の右横には、乳石をおまつりする乳石殿がございます。

乳石は自然石(硬質砂岩)で、触れることで乳神様の御神徳を授かると信仰されております。

この乳石は、昭和57年、浦幌町厚内在住の諸沢篤三様が、浦幌町厚内箱石の沢にて発見されたものです。

当初は、石の丸い部分の一部だけが地上に現れるていたため、諸沢様は「真ん丸の石だ」と思い掘り起こしたところ、乳房の形をした石が出土しました。諸沢様は「これは珍しい石だ」と思い、重機を用いて自宅へ運び、庭石として庭先に仮置きしていたそうです。

後日、偶然その前を通り掛かった当社四代目宮司の目に留まり、この年に乳神様が瀬多来神社から浦幌神社境内へ遷座される旨をお話ししたところ、諸沢様より、この石を奉納いただけることとなりました。同年9月12日、乳神神社の遷座祭に併せてご分霊を入魂致しました。
その後、平成19年、今後、風雨により石が割れてしまうことを案じた浦幌神社奉仕団体「やすらぎ会」が御殿の建立を提案し、大工の篠田栄一様のご協力をいただき、乳石殿を建立し、現在に至っております

今日では、全国各地から参拝に訪れた崇敬者等が、木綿の神布守(しんぷまもり)で乳石を撫で、お守りとして持ち帰る信仰が広まりつつあります。

神布守については、下記をご覧ください。



神布守

浦幌神社のご本殿に納め、神様の特別な霊威を込めた布を授与しております。神布守で乳石をなでてお守りにして頂きます。
※安産祈願・子授け祈願の方はお腹を、病気平癒祈願の方は病んでいる患部をなでて下さい。

神布守 (初穂料500円)

①乳石の前にある箱から神布守をお受け下さ。

 

➁神布守を二つに裂きます。

 ※布を裂くことは厄災除けになります。


③裂いた片方の神布守を願いこめて結びます。
※乳神様とのご縁(神縁)を結びます。

④乳石の前でお参りし、裂いたもう片方の神布守で乳石をなでます。

⑤乳石を撫でた神布守で身体を撫でてお守りにして頂きます。



乳神様の信仰とその広がり

乳神様発祥の地の山

奉納された幟

乳神様の信仰はじまりは、大正の中頃、、浦幌町瀬多来地区の山中にあった、乳房のような二つのこぶを持つナラの大木を御神木としておまつりしたことによります。
地元では、乳神様にまつわる様々な逸話が伝わっています。
「乳神様にお供えした米を炊いて食べたところ母乳が授かった」
「乳神様の沢の水を飲むと乳の出が良くなった」
「乳神様にお供えした水を飲むと病気が治った」
など、当初は母乳授けや病気平癒の神様として信仰されておりました。
やがてこの信仰は、出稼ぎに行く地物と炭焼き職人の口伝えによって、近隣の町村から北海道各地へ、更には遠く九州地方まで広まり、多くの人がその御神徳にあやかりました。
やがて、願いが成就した際には、お礼として幟(のぼり)を 奉納する風習が生まれ、御神木の周りには、たくさんの幟が立ち並び、風に舞う景色が見事であったと伝えられています。

(写真:奉納された幟が3本現存)

乳神様のお祭りも、瀬多来神社と同様に盛大に行われ、近隣の町村から大勢の人々が集まりました。若者による奉納相撲はたいへんな賑わいで、輪になって踊る人々も二重の輪になるほど多くの参加があったと伝えられています。
昭和37年、台風の被害によって乳神様の御神木は倒れてしまいましたが、ほどなくしてその根元から新しいナラの芽が吹き出しました。地元の人々はこれを「乳神様のお子様(二代様)」として大変喜びました。

以来、乳神様の生命力と、命を次代へと繋ぐ不思議な御神威にあやかろうと、子宝・安産・縁結びの神様としても信仰され、その信仰は全国へと広まっていきました。 



乳神様のお子様(二代様)

浦幌町瀬多来の山奥にあった乳神様の御神木は、幹の根元に大きな穴があいていたため、昭和37年の台風で倒木したと伝えられています。

幸いにもこぶの部分が残ったため、地元住民の手により瀬多来神社の横に小さな祠を建立し、こぶをご神体としておまつりすることとなりました。

すると不思議なことに御神木が倒れた場所から、ナラの芽が吹き出しました。現在、このナラの木は、乳神様の二代目の御神木として

「乳神様発祥の地」を所有する日立建機() 浦幌試験場様によって、厳重に垣根で囲っておまつりされ、無事成長しております。

 ※試験場内のため、立ち入り禁止となっております。



ご祈祷について

ご祈祷をご希望される方は、浦幌神社へご連絡下さい。 

 TEL 015-576-2448



乳神神社のお神札

乳神神社の御神徳をいただき、子宝・安産・縁結び・病気平癒・健康・家内安全を祈願致しました。

崇敬神社のお札としておまつり下さい。 

※子宝祈願・安産祈願・病気平癒祈願を受けられた方には、お神札と簡易神棚を無料で授与致します。

初穂料1,000

「乳神神社お神札」

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おっぱい守

●母乳授け・子宝祈願・安産祈願・病気平癒・心身健康・縁結び

当神社の「おっぱい守」は、乳神様の上記の御神徳が授かりますように祈願したお守りです。

乳神様の御神木にちなんだナラの木を使用し、一つ一つ手彫りで奉製しております。

台紙は、乳神様の御神木の一番近くに住んでおりました菅原敏江様が、昭和57年に乳神様の姿を後世に伝えようと油絵で書いて奉納していただいた絵を複写しております。(原画は、社務所に展示)
お財布、かばん、鍵など身近なものに着けてお持ち下さい。
 

詳しくは→こちら

 (初穂料1,000)


「おっぱい守」

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