忠魂碑の建立は、大正14年7月31日といわれている。
在郷軍人会の幹部であった今野巌・飯山政吉らが中心となり、浦幌町帯富の林(現パークゴルフ場)の中から数トンの石を運び出し、旧浦幌小学校の校庭(浦幌町宝町・現健康公園の西側)に建立した。
忠魂碑の揮毫は、第七師団長(旭川)陸軍中将国司伍七であった。
以来、浦幌村主催の殉公慰霊祭が行われた。
昭和20年、敗戦によるGHQの指令で倒伏されたが、翌年の12月、雪が降るのをまって、枕木で作ったソリに積み、越坂善松が土木事業用として、軍から払い下げを受けた旧戦車で、浦幌神社境内まで曳いた。
戦車を操縦したのは元戦車兵の髙室邦雄であった。
占領下であったため忠魂碑をすぐ再建することは叶わなかったが、昭和26
年、殉公遺族後援会(会長石丸雅朗)が、工事費十万円で、この地に再建し、6月25日に多くの遺族や関係者が参列して、除幕式と慰霊祭が行われた。
昭和33年、東山の頂上に平和塔が建立され、翌年以降の戦没者への追悼儀礼式は、平和塔で行われるようになった。
忠魂碑前での神道による慰霊祭はしばらく行われていなかったが、平成28年より、浦幌神社主催の神道による「戦没者慰霊祭」が復活し、以後、毎年8月15日に行われるようになり現在に至っている。