「ご神体のコブ浦幌神社へ①」 昭和37年、乳神様の御神木は倒木しましたが、 コブが残ったため、地元の方々の篤い信仰により、 瀬多来神社の傍に小さな祠(ほこら)を建立し、おまつりされました。 それから20年が経過したころには、瀬多来地区の過疎化が進んでおりました。 瀬多来地区は山間に位置することから、...
「ご神木のコブ瀬多来神社へ」 昭和37年、台風で倒木したご神木は、コブがかろうじて残ったため、 少し離れた地元の瀬多来神社の隣に小さな祠を建てておまつりされました。 現在、跡地には、ツツジが植えられております。 昭和46年発行の浦幌町史によると、 「祭礼は、瀬多来神社と同時に行っている」...
「乳神様の子宝安産の信仰について」 母乳授けや病気平癒で信仰されている 乳神様がなぜ、子宝と安産の神様としても 信仰されるようになったのでしょうか。 それは、昭和37年に起こった災害に関係がありあます。 それは、皆様が心の拠りどころとしていたご神木が台風で倒れてしまったことです。 地元の方は、大変ショックを受けたそうです。...
「乳神様の病気平癒の信仰について」 乳神様の御神徳の一つに、病気平癒の信仰があります。 以前、ご神木の近くに住んでいた故飯田アヤ子さんからご自宅でお聴きした貴重なお話をご紹介します。 飯田アヤ子さんは、大正9年、浦幌町瀬多来で生まれで、結婚するまでは、ご神木のすぐ傍に住んでおりました。...
「乳神様のお祭りのはじまり」 乳神信仰は地元のみならず、各地へ広まっていきました。 そこで、地元の浦幌町瀬多来で、乳神様のお祭りを立ち上げようという声が高まりました。 その先頭に立たれたのが、菅原鶴次郎さんという方です。 昭和57年に乳神様の油絵を奉納してくださった故菅原敏枝さんの父親にあたります。...
「乳神信仰はどのように広まったのか」 乳神信仰は、地元にとどまらず、遠くまで広まっていきました。 では、なぜ乳神様の信仰が遠くまで広まっていったのでしょうか。 それは、 浦幌町瀬多来で盛んであった炭焼きの職人のたちのお蔭です。 炭焼き職人が閑散期に全国各地へ出稼ぎに出て、 母乳を授けてくれる乳神様のお話を各地で広め、...
「乳神信仰のはじまりについて」 乳神神社の信仰は、浦幌町瀬多来の地からはじまりした。 伝承によると、 大正時代の中頃、浦幌町瀬多来の山中で吉田という老婆が、 たまたま山中を歩いていて、乳房に似たコブを持つナラの大木を見つけます。 この老婆には、生まれたばかりの孫がいて、母親に母乳が出ずに悩んでおりました。...
「乳神神社とは? 乳神様とは?」 浦幌神社の境内には、「乳神神社」(ちちがみじんじゃ)、 通称「おっぱい神社」と呼ばれている神社があります。 そこには、乳神様(ちちがみさま)と呼ばれている神様がおります。 正式な御神名は、乳授媛大神(ちちさずけひめのおおかみ)といいます。 なぜ、おっぱいの神様が浦幌神社に?...